偶然発明された電気磁気治療器
日本で初めて交流磁気治療器が発明されたのは、東北帝国大学工学博士の藤山常一氏によるものでした。博士は1902年(明治35年)、化学工業に利用価値の高いカーバイド(炭化カルシウム)の製造に、日本で初めて成功した人物です。このカーバイド製造が偶然にも交流磁気治療器の発明につながていきました。
カーバイドは水に触れるだけで安定的にアセチレンガスを発生し、燃焼させると強い光を発するので、産業用だけでなく、一般にも照明器具として需要がありました。アセチレンランプと聞いて懐かしく感じる人もいると思いますが、自転車のランプ、祭礼の照明器具などに、まだ乾電池やバッテリーがなかった当時、よく使われていました。
カーバイド製造は、石炭石と炭素を電気反応させるため、大きな電力が必要になります。1902年、藤山博士が宮城県の三居沢発電所(日本初の水力発電所)の主任技師として着任していたとき、自製の変圧器と発電所の余剰電力を利用して、カーバイドの製造に成功しました。
その後、カーバイド事業を拡大、1912年に立ち上げた苫小牧の北海カーバイド工場を下地に、1915年、電気化学工業株式会社を設立。
化学工業の勃興期であった当時は、発電事業と併用し電力コストを軽減する事業スタイルが確立されつつありました。1920年、宮崎県に電気化学工業傘下として大淀川水力電気株式会社を設立、藤山博士が代表取締役として就任し、1925年に竣工した大淀川第一発電所(現九州電力)から、福岡県の電気化学工業大牟田工場への長距離送電が開始されました。
この時藤山博士は、垂れ下がった高圧送電線下の植物の成長が他と比較してよいことに気づき、交流磁界の生物に対する影響に着眼しました。交流式の電磁石発生器を作り、従業員に試したところ、非常に評判がよく、ここに日本で初めて交流磁気治療器が誕生したのでした。
初代社長川﨑文左衛門により商品化
1928年(昭和3年)昭和天皇の即位大礼の記念として上野公園で開催された「大礼記念国産振興東京博覧会」にこれを出品。そこで、初代社長川﨑文左衛門の目に留まり、この技術を応用し、1932年(昭和7年) 超長波磁力線治療器 「マグネタイザー 」 の名称で商品化、発売されるに至ります。
マグネタイザーは、各地に展開した治療院などの業務用とともに、一般家庭にも利用されはじめ、翌年には、日本をはじめとしアメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、スイス等世界6か国の特許権を取得し、海外にも活発に輸出されるようになりました。
日中戦争、太平洋戦争当時は、被弾傷兵の弾丸摘出治療にも貢献し、実績を残しました。
戦後、新しい素材の導入により、品質の向上、一般用以外にも機械化された医家専用のものを開発、多くの大学、病院等で使用され、研究発表も活発に行われるようになりました。
磁気治療研究の活発化
1952年(昭和27年)頃、医療博士 大内恒氏を中心としたグループが、交流の磁気装置を使用しての水中における動植物に対する影響、地上における動植物実験等の結果を発表し、注目を集めました。
超長波磁力線は、 下に紹介するような実験研究から、若い細胞に著しい発育の促進作用があることが示されています。胎児の発育を良くしたり、内分泌腺や臓器の官能に働きかけ、血液循環の促進、細胞の働きの活性化に著しい結果を残しています。
おたまじゃくし磁気照射実験
孵化後のオタマジャクシを二群にわけ、写真(左)に毎日30分マグネタイザーをかけ対象群(右)と比較。21日後、対照群と比較し2.7倍の体重増加を示した。自然死亡の割合は減少を示した。
トマト磁気照射実験
種子から42日の収穫まで右2個がマグネタイザーを照射したトマト。左2個の対照群の重量190グラムに対し、照射トマトは400グラム。
絹糸草の暗室内での発育
写真(右)に1日30分を20日間照射の結果、発芽率80%で青々としていた。非照射の(左)は発芽率50%で青みがない。長さはあまり変わらないが太さは半分。
子犬への交流磁気照射実験
(右)マグネタイザーをかけない子犬。同じ母乳で20日目。1日30分掛けたほう(左)は2倍以上の違いを見せた。
兎の赤血球数変化の観測実験
1900グラムの雄6羽に10日間、マグネタイザーを照射し赤血球数の変化を観察。 試験開始時 1g/338万個 7時間後 1g/492万個
累計70時間(10日間) 1g/548万個
全体にわたり増加傾向を示した。
微生物を定着させた試験管内所見
(1)照射1008時
(2)照射504時間
(3)照射336時間
(7)無照射1008時間対象検体